フランス アルル
ついにやって来たぞ
ここがゴッホがいた病院


 2007年2月。アヴィニヨンからアルルに向かう。アルルには大いに期待している。何たって本物のローマ時代の円形闘技場が見られるのだ。興奮しない方がおかしい。
 円形闘技場は今までにも見ている。同じプロヴァンスのニームでだ。ニームではリュックを引きずっていたから中に入れなかった。ドイツ西部ルクセンブルク国境近くのトリアーでは観客席が草むした円形劇場も見ている。
 まぁ、本物の円形競技場を見たかったら、ローマへ行けばいいのは分かっている。さらにもう一つ、僕がアルルで期待しているのはエスパス・ヴァン・ゴッホ。かつてゴッホが入院し、描いたことのある病院跡だ。
 オランジュ駅で買ったガイドブックの地図を見ると、駅から街の中心部まではちょっと離れているように見える。タクシーに乗った方がよさそうだ。駅前は全く閑散としている。タクシーは1台も停まってない。しかたがない。待つだけだ。
 10分、20分…。全く来ない。プチン!と切れた。もう一度地図を見て方向を確認する。歩くしかない。駅前からしばらく歩くとラマルティーヌ広場。広場の向こうにカヴァルリ門が見える。ここがアルルの玄関口。何だ、歩いてみるとさほど遠くないじゃないか。

 カヴァルリ門を抜けると左右に店が並ぶ。いよいよ街らしい風情になってきた。さらに行くと道は二股に分かれる。僕は右の道を選んだ。道の先に円形闘技場らしき大きな建造物が見えている。ちょっと心が高鳴る。
 歩くたびに闘技場が徐々に大きくなっていく。でかい。闘技場の広い階段には、若者たちが数人ずつグループになって座り談笑している。とりあえず闘技場の中に入ってみよう。入場料は3.50ユーロ。
 アルルの円形闘技場は紀元1世紀頃に建造された。2層60のアーチから構成されている。建造当時は3層あったらしい。ローマの円形闘技場コロッセオは写真で見ると4層に見える。しかも収容人員は5万人以上。アルルの方は2万人。比較するのは無意味だが、やはり本家本元はでかい。
 階段を上がると眼下に楕円のアリーナが見える。一番広い所で直径136mあるという。ここでどんな物が見られたのか…?映画『グラディエーター』で見たような獰猛な野獣と奴隷、もしくは奴隷同士の殺戮だったのか。
 闘技場の一番高い場所に行くと、日本人らしきグループがいた。彼らの話す日本語が懐かしく、思わず「あっ、日本人だ…!」と言ってしまった。すると何人かが怪訝な顔をして僕を遠ざけようとした。本当は彼らとちょっとお話がしたかったのだ。
 実際に僕はもう9日間も日本語を話してない。フランス語は当然話せないし、英語だって必要がある時以外は話さない。会話という行為を全然してないのだ。まぁ、口寂しいというか何というか。元々2週間近く人と話さなくても大丈夫な性格はしている。でも、やっぱり時々は誰かと話したくなる。
 闘技場の上から見るアルルの街並みは素晴らしい。向こうにローヌ川も見える。オランジュの古代劇場で見た時も感じたが、この赤茶けた屋根瓦の波を見るとプロヴァンスに来ているのだと実感する。

 次はエスパス・ヴァン・ゴッホだ。地図を見る。すぐ近くにに古代劇場がある。 見に行ってみるが現在修復中。中には入れない。まぁ、何でも旅人の都合通りには行かないものだ。
 市庁舎前のレピュブリック広場を抜け、ツーリスト・インフォメイションに向かう。広場左手にサン・トロフィーム教会。中に入りたいが、まず先にツーリスト・インフォメイションだ。残念だが、僕はアルルに2時間ほどしかいられない。列車の都合だ。
 急いでいるわけではないが、夕方早めにオランジュに戻りたいのだ。オランジュからファーブルの家があるセリニャンに行こうと考えている。欲張りすぎない方がいいのは分かっているが、生来の貧乏性は簡単に治らない。
 ツーリスト・インフォメイションで地図をもらい、エスパス・ヴァン・ゴッホに向かう。途中の通りは全く飾り気がない。いかにも観光地という感じがなくて好感が持てる。さて、エスパス・ヴァン・ゴッホはどこだ…?
 入口を入ると回廊のような中庭に出る。ゴッホが入院していたこの病院は、1989年2月に総合文化センターとしてオープンした。中庭の向こう側に回ると、庭に向かってプレートがある。ゴッホが描いた中庭の絵だ。100年前に描かれたままの姿で中庭は僕を出迎えてくれた。
 回廊の黄色く彩色された柱。庭の真ん中にある小さな噴水。今はまだ寒いから咲き乱れる花はないが、植木などのレイアウトはゴッホの絵そのもの。写真を数枚撮ってしばらく佇む。
 ここにゴッホが立って絵を描いた。そして今、同じ場所に自分も立っている。じんわりと幸福感に浸る。絵心があればスケッチしたい。でも、ゴッホに笑われそうで怖い。いや、もしかしたら狂気に満ちた目で称賛されるかもしれない。うん、そっちの方がはるかに怖いか。
 1階から2階へ上がる階段がある。上から見た方が中庭がよく見える。なるほど…!とここで気づいた。ゴッホは2階から描いたのかもしれない。ちょうど下にプレートが見える。確かに2階のこの場所から見た中庭の角度がぴったり合う。

 そろそろ駅に戻った方がよさそうな時間。勝手にこっちだと決めつけて歩き出す。しばらく行ってから地図を取り出す。全く見当違いの方へ歩いている。すぐに軌道修正。フォーロム広場を目指す。
 フォーロム広場はこぢんまりとしている。広場に向かって数軒のカフェがテーブルを出している。時間があったらゆっくりコーヒ−かシャンパンでも飲みたい。だが、時間がない。
 古代劇場の脇から円形闘技場へ。正面の空が今にも雨を降らせそうな表情を見せている。やばい。急がなければ。途端に早足になる。カヴァルリ門を出る。ここまで来れば駅まで10分とかからない。
 何とか10分前に駅に到着。だが、乗るはずのオランジュ行き列車が発着案内板に標示されてない。次のアルル発オランジュ行きは15時59分。ノートにメモっていた14時7分の列車はアヴィニヨン始発だった。またまた早とちりの勘違い。
 咄嗟に「よくあることさ…」と自嘲気味に小さく笑う。さて、どうする…?これで1時間半以上も時間が余った。アルルでまだ見てない物がある。サン・トロフィーム教会だ。腹も減ってきた。踵を返して旧市街にUターンする。
 ゆっくり行こう。駅からローヌ川沿いの道に出る。風はちょっと強い。上流から川船がゆったりやって来る。 上流には朝靄で見えなかったアヴィニヨンの橋がある。今頃は靄も晴れ、きっときれいに見えているだろう。くぅぅ−残念。さて、もう一度円形闘技場に戻ろう。
 円形闘技場の前に雰囲気のいいカフェがあった。あそこに入って、ビールとオムレツで軽い食事をしようと思っている。
 店内にはいると、入口あたりのテーブルには高校生の一団。世界中どこでも女の子はよく笑う。笑い声を聞き、明るい笑顔を見ていると、寂しい旅人もちょっと幸せになれる。メルシー、マドモアゼル!

 カフェを出てサン・トロフィーム教会へ。ローマ時代の遺跡が多いアルルで、唯一中世の香りを漂わせるロマネスク様式のサン・トロフィーム教会。教会は中世、スペイン西部キリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼路の教会として知られていた。
 教会内で数枚写真を撮る。出会った日本人の若者に「今日は」と挨拶するが、何となく訝しがられる。円形闘技場の時もそうだった。目が合ったら軽く挨拶するのがマナーだ。集団で旅行している人間は、時として堂国民に排他的な表情を見せる。全くな…。
 さて、次は何をするか…?そうだ、フォーロム広場だ。広場に面したカフェの外のテーブルに座りシャンパンを飲みたい。ぐずりだしていた雨雲はどこかに消えた。陽射しは温かく柔らかい。
 広場に面したテーブルが空いている。これはラッキー。だけど、隣の建物が工事中でかなりウルサイ。しばらくすると、パラパラパラと何かが降ってきた。工事中の隣の建物から飛んできた漆喰の小片だ。
 慌てて遠くのテーブルに移動する。隣りに座っていたカップルも続いた。それでもまだ飛んでくる。しかたなく僕は店内に退散する。カップルは呆れ果て勘定を払って店を出た。
 隣の席にはちょっとお洒落な老婦人が座っている。小型犬がお供だ。店内に入ると工事の音も小さくなった。シャンパンを飲みながら旅日記のメモを書く。
 時間がゆったり流れていく。お金はかかってないが、こういう時間の過ごし方を贅沢だと考えたい。いや待て、金はかかっている。 何たってヨーロッパまで来るのはタダではない。と言いつつ実は今回、スターアライアンスの20%OFFキャンペーンで手に入れた航空券。44,000マイルで済んだ。
 駅へ戻る途中、ある公園で老人たちが集まってワイワイやっていた。まだ時間はある。見に行くとペタングをやっている。10人近くいる。思い思いに鉄の球をを投げて争っている。ルールは全く分からないが楽しそうだ。
 ちょうどベンチがある。僕は座ってデイパックからビデオカメラを取り出した。この音を録らずしてどの音を録る。ベンチにカメラを置いて、Rec.ボタンを押したままゲーム観戦。
 互いに茶々を入れている。フランス語が分かったらきっと楽しいのだろうな。何たってフランス人だ。結構シニカルで、神父が聞いたら耳をふさぎたくなるような悪態を付いているはずだ。
 さっき列車に乗れなくて、かえって良かったのかもしれない。フォーロム広場でシャンパンも飲めたし、オヤジたちの悪態付きペタングも見られたし。何だかんだ言いながら小さな幸運を拾い集めている。それが僕の旅のスタイルなのだろう。




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